しぃのおうち

滝のおトイレ

大人と怒り

こんばんわぁ、疲れのあまり一日中寝ていました…。

今回は割に賛否両論な話題だと思うんですが、議論する場でもないので独り言と思ってください。

 

先日アルバイトで、あまり詳しくは説明できないのですが、ちょっと理不尽な目に合うことがありました。普通だとすぐに忘れるのですが、今回は過去の事とかもフラッシュバックされるような感じで、ちょっとしたトラウマ的事故になってしまいました。ざっくり説明すると、お店のルールで確認しているものをお願いしたところ「顔も覚えていないのか!態度が悪い!!」とネチネチと怒鳴られてしまったんですね…。これ以上は説明できないのでアレですが、わたくし個人が主観的に理不尽と感じるだけ、というわけではなく、お店側も困っている感じでした。

今回いろいろ言いたい事もあるんですが、私が自分に対して「困ったな~」と思ったことは、怒られているときの反応についてです。そのお客さんは、その利用確認について最初理不尽だということを言っていたのですが、どうやらその言い分を聞く私の表情がとても気にいらなく、ヒートアップしてしまったようでした…。

実は、仕事の場ではありませんが以前にもそのようなことがあったので、いくつか思い出しました。

 

話は少し飛びますが、私は「学校の先生」という存在が昔から非常に苦手です。いくつか理由はありますが、「他に認めている師が常にいたから」というのが一番大きかったと思います。というのも、私は、学校以外の場で勉強することが多かったのです。中学受験勉強のために(割とガチな感じで)日〇研に通ったり、バイオリンを厳しい先生に習ったりしていました。他には、家庭環境が少々特殊で、決して裕福なわけではありませんでしたが、食卓で母親が社会や哲学などの話を私が子供の頃からしていました。また、一年間海外に住んでいた事もありました。いわゆる帰国子女です。

そうなると、小・中に関しては同じクラスや学年の子供たちに対して先生が想定するよりも若干大人びてというか、マセている訳ですね。でも若干なので、先生たちから見れば「学校の先生をナメているクソガキ」となる訳です。

実際私は小・中…そして高校の先生をナメていましたし、とても嫌いでした。特に小中に関しては、「こちらからお願いもしていないのに勝手に担任としてやってきて、私には学校以外にやることが沢山あるのに、宿題やらを課してきて、しかも何やら上から物を言ってくる」という風に思っていました。とくに小学校の時は、小学校でやっている勉強ではどう考えても私立中学や国公立の受験校は受かりませんからね。当然バイオリンも教えてはくれません。中学では授業で間違ったことを教えだす先生もいたりして(レインボーブリッジが横浜にあるって言ったり、「人災」という言葉の意味を「人に起こる災害」って言ったりね)、酷いときはそれを指摘すると反感をかい、授業中立たされるということもありました。

しかし小中学校は公立であったためか、呼び出されてこっぴどく怒られるとかそういう事は起こりませんでしたので、私に対して怒る人というのは母しかいませんでした。

 

その母も、今考えても少し問題があったように思います。というのも、私を叱るときに必ず暴力があったのです。(これは大学に入っても続きました。一緒に暮らさなくなるまで。)怒るときは必ず怒鳴りますし蹴ったり殴ったりがあります。一番ひどくて覚えているのは、5歳くらいの時に目玉焼きと一緒に家のドアの外に放りだされた時と、小学校の時寝る前にお腹を何回も蹴られたときの事です。それ以来私は母親が怒鳴りだす度に、ほとぼりがさめるまで部屋に籠るとか、殴ってくる腕を掴むとか、自衛する手段でました。

これには原因があって、私の母親が虐待を受けて育った事、そして、父親が家に帰ってこず私には無関心で母親に育児をおしつけ、挙句の果てには愛人や外車にお金を使い果たし、家には生活費もろくに入れず、「離婚する~」と言い出したりしていたことです。多分色んなストレスを、帰ってこない父親にぶつけることもできず、それが私に回りまわってきていた事も多かったと思います。当時の母親の言い分を思い出してもやはりそう思います。お金がないのに音楽学校入った、とかね。

 

そんなこんなで、私は大人たちの叱責が物凄く嫌いでしたし、「逃げる」あるいは「それは間違ってる、という態度になる」くらいしか、自分の中にやりようを作れませんでした。けれども、楽器の先生や塾の先生、そして学校の先生の中にもちゃんとした方はいて、そういった先生に対しては、怒られてもめげたりしませんでしたし、理不尽に思うことは少なく、素直に指導に従っていました。というのも、子供たちに怒ったり、間違っている行いを指摘するときに、「こういう理由で、これがダメなんだ、次からはこうしよう」ということを冷静に、そして論理的に伝えていたと思います。

 

それで、印象的な出来事は高校のときに起こりました。ちなみに高校は私立高校の音楽科だったのですが、担任や通常授業をとりしきる先生と楽器のレッスンや音楽の授業の先生は全く別の所属でした。帰りのHRの前に、期末テストのためのプリントを図書室までコピーしに行っていたのですが、前の人が長くてどうしても終わらなく、HRの終わりがけに戻ることになってしまいました。それを、頼んでもいないのにクラスメイトが「生理がひどくてトイレに行っています!」と先生に言ったらしいのですが、全く知らなかった私は「すみません、遅れてしまいました!え?生理??どういうこと?」と言ってしまい、呼び出しをくらって2時間くらい担任の教師に怒られました。

その時の内容が、私にとっては非常に疑問に思うようなものでした。まず、怒られたのは「HRに遅刻するというのは、学校から脱走(エスケープ、と呼ばれてましたね)したのかと思われ先生が探したりしなくてはいけなく、クラスのみんなや先生に迷惑がかかる」という内容でした。そこまでは私も納得していましたし、「すみませんでした、しかしプリントのコピーが間に合わなくて遅れてしまいました。」といった覚えがあります。でもそれだけの話で、先生はソファにふんぞり返ってすご~く嫌な感じで話していました。

しかしその話は20分くらいで終わりました。では残りの1時間半はというと、「あなたね!人に怒られているときの態度(および顔)がそれなの??」という話でネチネチネチネチとお説教されたのです。逆に問いたいんですけど、「怒られているときの顔」ってなんですか?笑

私はその時、たしかに自分が悪かったと思って謝りましたし、次はしないようにするぞ、と思いました。しかしそれで「態度が悪い!」と先生が怒り出したので、次第に顔色は悪くなり、たしかにその話に入るとぶーたれていたと思います。それがさらに先生の怒りをあおってしまい、結果2時間近く怒られた訳です。

 

たしかに、アルバイト等の現場でも、クレームがあったとき申し訳なさそうにする、という風に言われます。それは自己表現として必要なのは十分わかりますし、こちらに落ち度がある場合はそのようにします。申し訳ない気持ちをちゃんと伝えるのは礼儀だと思います。

しかし私が今まで受けた理不尽な暴力では、申し訳なさそうにすればするほど相手の加虐心を増幅したり、あるいはやりたい放題にさせてきました。なので私は相手の主張を理不尽に感じたり、暴力的であったりすると、「すみません」と言って申し訳ない顔をしたするのが苦手です。更に加虐される可能性が脳裏に焼き付いているからです。言葉につまり(怒鳴られると喉が硬直し苦しくなってしてしまい、何も言えなくなる。反論すら。みなさんはないですか?)、顔はひきつり、「なんだこいつ…」というのが表情に滲んでしまうんですね。

 

とはいえ社会の中で「申し訳なさそうな演技をする」ということができないと中々に生き延びられない訳です。でも、申し訳なさそうな顔、って一体なんなんでしょうか。私は何が正しかったのかよくわかりません。

 

私は今まで学生で、女性で、ゆとりで、小柄で顔も童顔だし、お金も無い。色んな場面でどちらかというと「弱者」の立場でいることがほとんどです。そしてこれからもしばらくはそうだと思います。私に対して嫌な感じに意見を言ってくる人は大抵、年配であったり、男性であったり、あるいは「先生(頼んでない!!笑)」「親」という立場であったり、いわゆる「強者」的立場な訳です。私には(なんだコノヤロー!)と思っても、怒鳴ってキレたり、人を殴ったり、起こってしまった事から相手の人格を否定することにまで掘り下げたりとかする機会もないですし、したくもないので、そういう事をする人たちの気持ちが全くわかりません。なにか意見があれば、イライラしててもまず建設的に自分の言い分を伝えます。そのほうが物事うまくいきますし…。しかし、弱者でいる限りは、そういった理不尽に反論せず耐えたりしなければならないのか?そう思うとなんだか歩いていて涙が出てきました。

 

話の途中で、冷静に説明し伝える先生たちの話をしました。

仕事の現場で「これは困るよ!」ということを伝えるとき、やはり理由を整理して「次からはこうするべきだ」ということを説明しますよね。それって子供たちや自分の周りの人間に対しても、私はそうあるべきだと思っています。

それでもダメだったら…といいますが、それはダメだった時に考えますし、まずは相手に対して誠実に説明するのが「大人」なのではないだろうか?と思います。強者の態度をとりたがるなら、強者なりの方法を選ばなければいけないのではないだろうか…。

私自身も今年で25歳で、もう子供とは言えない年齢です。そして将来、母や教師など、誰かに何かを教育する立場になる可能性が大きいので、この疑問は自分にとってはずっと考えていかなければならない事であると思います。